ゴルフ徒然
ゴルフ狂の詩
ライター

日光にて 小話65

先月の半ばから母が東京に来ている。

私の様子が心配らしく、上京してきたのだ。

せっかく久しぶりに東京に来たのだからと言うことで、尾瀬に連れて行くことに。

母の希望で尾瀬に行く前に日光に立ち寄ることになった。

私自身は大学生の時に京都からバイクで来たことがあり、20年ぶりの日光である。

母は栃木県に来るのが初めてで、車の中で関東の景色を楽しんでいるようだった。

あくまで尾瀬がメインで東照宮はサブ程度でまさに立ち寄ると言う言葉がピタリ。

当日はありがたいことに晴れ。

平日に来た甲斐がありガラガラ。

駐車場も一番近いところが空いていて楽楽、入り口にアクセスできた。

入り口に至る砂利道は綺麗に整備されていて、溝を流れる水は透明で冷たい。

中へ入るなり母は建造物に施された複雑な模様をした彫刻をじっと眺めていた。

有名な三ザルにはあまり興味がないようだった。

彫刻を眺めながら「東照宮の近くに住んでいる人は羨ましい。いつも、この彫刻を観に来ることが出来るから」

思いもしない言葉に驚いた。

観光できたつもりであったが、美術館を巡っているマニアのような言葉。

世界遺産なので訪れてみたいと言う、野次馬的な観光しかできない自分には衝撃の言葉だった。

いかに自分が稚拙な目的で来ていたのかを認識させられた。

思い返せば奈良の正倉院展に当時の彼女とデートした時もそうだった。

彼女が行きたいと言うから喜ばしたい一心で連れて行った。

螺鈿の琵琶が20年ぶりに公開されていて話題になっていた。

目の前で螺鈿の琵琶を見て感激している彼女の様子に、満足するとともに、そこまで感動できる心境に不思議で

たまらなかった。

自分には芸術を鑑賞する目がないのだ。

母と当時の彼女には心の目がはっきりと存在している。

今の自分では世界最高峰のルーブル美術館に行っても同じ現象が起きるだけである。

美しいものに感動する心がないのは本当に寂しいものである。

日光で彫刻を前にして動かなくなった母を見ていて、ちょっと羨ましかった。