ベートーベンの失敗談
先日の4年生の授業の中で扱った文章。
ベートーベンの失敗談が出ていた。
彼は27歳の時に聴覚が完全に失われ、振動を感じて音を把握するしかなくなった。
それでも、努力に努力を重ねて後世に残る名曲を次々に生み出す。
そんな偉大な業績を残した人間の失敗談が今回の題材である。
27歳の時に聴覚を失った時、彼はすでに有名人であった。
7歳の頃から音楽家として活躍した彼にとって、
耳が聞こえなくなることによる世間の同情は
到底耐えられるものではなかった。
耳が聞こえづらくなってから5年間、
彼はそのことを隠すためになるべく人と会わないようにした。
これが逆に変な噂を呼んでしまう。
「世間を嫌う、人嫌いのベートーベン」
と揶揄された。
孤独になった彼は自問自答しながら、
本当に自分が目指すべきものは何なのかを
苦しみながらも考えるようになった。
孤独から見えるもの
そこで頭に浮かんできたのが音楽。
孤独と絶望の中で見出したものは
「音楽という芸術を作り出すまではこの世を見捨ててはいけない」
ということだった。
こうしてこれまで以上に音楽に打ち込むようになり、
何百年たっても色あせることのない名曲を次々に書き上げていくことになる。
この話の終わりは次のように結ばれている。
本当の夢はなかなか見つからないもので見えにくい光であると。
孤独という心が暗くなった中でしか一筋の光は見えない。
孤独になって自分と向き合うことでしか本当の夢は見ることはできない。
心に刺さる一節である。
PV0ブログ
今こうやってブログを書いているが、
まだ誰にも見られたことのないブログである。
それゆえに孤独である。
この誰にも見られていないブログが逆に、
本当に真っ暗な孤独の世界を作り出す。
しかし、自分の中から本当に大切なものを見つけ出そうとすれば、
一旦はやはり電気を完全に消してしまわなければならない。
このブログがまさにそのOFFのスイッチになっている。
今回で小話も37回。
ここまで書いてきて、
心の暗さに目が慣れてきた。
すると新しい景色が浮かび上がってくる。
深海を泳いでいる魚が地上の明るい世界に住んでいる者には見えない
深海の神秘を眺めているのと同じかもしれない。
言葉の姿
私自身、よく見えるようになったのが、
「言葉」
である。
言葉ひとつひとつの持つ力強さ。
さらにはそこから醸し出される美しさ。
こういった微妙で決して派手でない彼らたちの姿が
少しずつ見えてくるようになってきた。
小説を読んでいてもプロットのみを追いかけ、
ストーリーさえ分かってしまえば読んだ気になっていた。
ところが最近は文章を読みながらも一つ一つの言葉が気になる。
作家たちがどれだけ言葉ひとつひとつに魂を込めているか、
読んでいると気づくようになった。
それだけではない。
人がなぜそういう発言をするのか、
言葉ひとつひとつから考えるようになった。
さらに考えが深くなると、
人の心に寄り添えるようになるのかもしれない。
このブログを書くようになってから、
本当に国語の先生としての資質が少しずつ身に付いてきているのかもしれない。
文章のストーリーのみを教えて問題を解かせるのではなく、
作者が苦心して探し出してきた言葉ひとつひとつにも目を向けさせる。
その思いを汲み取り子供達に感じてもらうような授業ができると、
無味乾燥な教室が深みのある空間に変わってくるのかもしれない。
派手で目立つ楽しみにしか興味を持てなかった過去。
孤独という現状の中で微かに見える景色にやっと気付けるようになった。
このブログを続けていくことにより、
人の心に寄り添った温かい言葉をかけられる人間になれたらと願うのである。