ゴルフ徒然
ゴルフ狂の詩
先生

人への関心 小話40

人口密度

世界の人口ランキングを見てみると意外に東京の順位は低い。
それでも東京23区内に一千万人弱の人が住んでいる。
この狭い土地にこれだけの人が住んでいるのは異常事態かもしれない。

それだけではない。
昼間は通勤で郊外から
たくさんの人が23区内に押し寄せてくる。
昼間の人口がどれぐらいになるか
考えてみるだけでぞっとする。

通勤圏内を含めて都市圏に流入する
人を含める都市圏人口ランキングで世界1位が東京。

1日に約37,000,000人が
何らかの形で東京都市圏に関わる。

東京23区に関わる人からはじき出される
昼間の人口密度を計算してみると異常な数字だろう。
これだけ人が密集している中で
人間としての健全な心の状態を維持できるのだろうか。

ロボットたち

3年前に東京に移住してきて
初めに違和感を持ったのは
歩いている人たちの視線である。

日本語には「一瞥」と言う言葉がある。
たとえ知らない人でもちらっと相手の姿を見、
どんな人なのかを確認して通り過ぎていく。

お互いに目が合っても、
違和感を持つことなく通り過ぎていくのである。

もう少し田舎に行くと
必ず相手の顔を見て、
知り合いかどうかを確認する。
もしも顔見知りであれば
挨拶をするという流れになる。
挨拶をする準備行為として
「一瞥」という行為が必要だ。

ところがその挨拶の準備行為である
「一瞥」という動作すらしない人がいる。

人が多くて知り合いに出会う確率がかなり低いからか。

そのため通り掛かる人の顔を一切見ることもなく
進行方向に視点を固定して歩いている。

ロボっト達の行進である。

人への関心が薄れていることへの表れだろう。

自分一人だけ何とか生き永らえばいいという
考えがはびこっているのかもしれない。

恐るべきデータ

昔NHKで放送されていた特集を思い出す。
各方面から提供されるビッグデータから
AIが解析した結果を伝える特集だった。
その中でAIはある奇妙な相関関係を見つけ出していた。
それはコンビニの店舗数の上昇と自殺率の上昇が
比例しているという結果。

コンビニを使えば1人で生きていける。
誰とも会わず、生活していくことができる。
誰とも会わずは言い過ぎか。
会うといえばコンビニの店員ぐらいか。

地方から都会に出てきた当初は快適だろう。
人間関係のしがらみから解放されて
爽快さを味わえるかもしれない。

しかし、この生活に慣れてくると
人間性がこの便利さに牙をむく。

寂しいや悲しいの心の警告。
無視し続けると次に襲ってくるのが虚無感。
生きることの意味が失われていく。
生きている感覚もなくなる。

その結果が都市圏で異常に多発する人身事故。
毎日どこかの路線で人身事故が起きている。
列車の遅れは半ば日常化している。

人身事故に対する人々の関心は
電車に乗れないことに対する苛立ちぐらいか。
その事故を通してどんな不幸が存在していたかを
想像する人などほとんどいない。

心理学者アドラーが大切にした共同体感覚というものは
この東京では希薄になっているのかもしれない。

心の通わない教室

人に無関心なのは大人だけではない。
塾の教室でも見られる光景だ。
狭い教室に30人から40人の生徒が座らされる。

コロナ禍の中で密を避けるように叫ばれている中、
塾だけは違った論理が展開されている。

特に23区内の塾の教室は異常な人口密度だ。

人に無関心な子供が次々と生産されている。

好き勝手な発言をする。
平気で器物を損壊する。
義務を果たさず権利ばかり主張する。
カンニングの横行
協力意識の欠如
と挙げればキリがない。

自分の行動によって
周りの人たちがどのような影響受けるのか、
考える余裕すらない。

そして、少しでも気に入らないと
ふてくされ沈黙を通し
コミュニケーションを取ろうとしない。

東京23区内にある塾の生徒の特徴だ。

職員も東京23区内の教室に
あまり行きたがらない。
この辺の子供事情がわかっているからだろう。

周りに人が多くなると確かに空気が薄くなる。
自分のプライベート空間が維持できない。

人の密度が高まると土足でプライベート空間に踏み込まれる。
物理的に仕方がないことだ。

しかし、心はそんな理性を持ち合わせていはいない。
プライベート空間に入ってくる人間をすべて敵視する。
そのため人間への関心は敵意と変わり、
自分と利害が一致する者としか
コミュニケーションを取らない。

人の内面に目を向けて人間性で人と向き合う。
そんな心がほっとする様子を見ることは稀だ。

当然に子供たちの間では敵対関係が多く発生し、
教室全体を見渡すと、殺伐とした空気が漂う。

さらに受験勉強を通して
血の通っていない結果のみを
追いかけるようになる。

人に勝つことが価値となる世界。
人を共同体の仲間として見る目は失われる。
子供たちの心は次第に乾いていく。

これが現在、23区内の教室で繰り広げられている光景だ。

人が多いというのは良い点も確かにある。
経済の発展や街の活性化には欠かせないことだろう。

しかし、心理的な面から考えるとマイナス要因になる。

国語の本質

東京23区内に住んでいる子供の学力が平均的に良くない。
特に弱いの国語である。

国語で扱われる文章のテーマは人である。
人への関心が不可欠だ。
人への関心を奪う要因の多い場所では
国語力が育つ土壌が存在しない。

逆に23区から離れた多摩地域や埼玉県の子供は
人情味があり、国語の理解が早い。

人が密集した地域は残念ながら
情操教育には不向きな場所なのかもしれない。

人間の便利さや都合だけを追い求めていると、
思わぬところに弊害が生じてくるのかもしれない。