ゴルフ徒然
ゴルフ狂の詩
先生

静寂 小話41

ブログ

ブログも今日で41回目。
約2ヶ月をかけてここまでたどり着いた。

目標はとりあえず100回。
目標まではまだまだ遠い道のり。

当初は合格を目指す子供を持つ親御さんに
良い情報提供できたらと思って始めた。
人に見てもらうことが目的だった。

ところが途中から自分の言葉と向き合っているうちに
自分自身と会話をするようになった。

ブログを始めた目的が変わってしまった。
今では自分の本当の声を聞くことが目的になっている。

目的の変化に伴って、
ブログを書いている時間が長くなってきた。
数行の文章を書くのに何時間も費やす時がある。
それだけの時間がないとじっくり自分と話が出来ない。

そうしてゆっくりとした時間の流れに身を任せていると
本当の声が聞こえてくる。
それは今までの自分の考えとは矛盾していることもあり、
新しい発見であったりもする。
地図のない宝探しのようだ。

ブログを始めるまでは自分自身とここまで
向き合って話し合いをすることなどほとんどなかった。

日々、他人の発言や外界からの情報によって
自分の行動を決めていた。
他人にアドバイスされれば
あっちにフラフラ。
テレビで情報を得れば
こっちにフラフラ。
自分の中心が溶けて消えていた。

そんな雑音の中で決めた指針など、
空虚で乾燥した産物しか生み出さなかった。

忙殺

変化が速く情報量の多さに圧倒される現代社会。
ゆっくりと考えている時間などない。
とりあえず行動を起こして、
走っている最中に軌道修正しながら
自分の進むべき道を決めていく。

早く動けと命令が飛んでくる。
一人や二人の声ではない。
社会全体から聞こえてくる
無数の声だ。
雑音、いや騒音に近い。

目の前で教えている子供たちも
宿題の量の多さと
日常のスケジュールに忙殺されて
何とか毎日を乗り切っている。

騒音の中、ひたすら走りながら。

少女の世界

授業後、生徒とよくたわいのない話をする。

その日の学校での出来事、
家での両親とのいざこざ、
友達との揉め事、
学校にいる面白い子の話、
担任の先生の悪口、

と話題は尽きない。

彼らの本当の素顔が見られるとても楽しい時間である。

そんな中、真剣な顔をして話をしてくれた生徒がいた。

彼女の両親、さらに弟も耳が聞こえないとのこと。
唯一聞こえるのは彼女だけ。
自分は手話で家族とコミュニケーションを取るのだと。

想像するに家の中は非常に静かであろう。
彼女はその静寂の中で生活をしている。
声を聞くことができるのは学校と塾。

心を通わせるコミニケーションは静寂の中で行われる。
雑音のない世界だ。

読書の世界も。
何度も繰り返し時間をかけて読んでいると
精神の静寂があらわれる。

すると、作者と直接会話ができるところに辿り着く。
淀みのない澄み切った心で作者のメッセージを受け取る。
生きていくのに必要なメッセージだ。
作者の心に触れ、
俗世間に汚れた心が浄化されていく。
言葉の力強さに助けられる。

この彼女、当然の如く
国語の成績は抜群。
記述問題の解答を見ても答えは的確。
健常者と生活をしている生徒は
言葉を綴るのに四苦八苦である。

彼女のノートに書かれた言葉は実に力強い。
書かれる内容は決して借り物でない。

自分で見つけ出してきた言葉で綴られる文章。
日常の静寂の中で育んだ言葉で書かれた文章。

こういった言葉や文章に心を打たれる。
本物は人の心を捉えて離さない。

法律の世界で

法律の勉強していると時々。

前に読んで理解したはずなのに、
同じところを読み直してみると
違ったことに気がつき理解が深まる時がある。

同じ内容で同じ文章で同じページを見ているのに
何故か理解度が違ってくる。
理解をすると言うよりは
今まで見えなかったものが見える感覚である。

心中が
「合格したい、合格しなければ、生活のため、プライドをかけて」
と騒音まじり。

ふとある時、試験のことを忘れて、
条文を何気なく声を出して読んでみる。

すると、気づかなかった言葉が
突然、静寂の中、
目の前に姿を現す。

そうか、そういうことか。
この言葉の意味はそういうことか。
ごめん、君のことを無視していた。
そんな気持ちになる。