日本橋散歩
昨日は人形町の界隈を散歩。
コロナ禍の中でお目当てだった人形焼きのお店は閉まっていて、
人形焼きにありつくことができなかった。
玉ひでの親子丼はというとラストオーダー終了。
すき焼きの今半は!
はい、オーダーストップ。
せめて柳家のたい焼きぐらいはと店の前へ。
シャッターでのお出迎え。
お目当てが全滅の憂き目に。
お腹の虫の言いなりに。
一番やってはいけない愚行に。
一度もシャッターを見たことのない、
そもそもシャッターを設置していないのではないかと思われる
吉野家ランチに舌鼓。
水天宮をお参りし
さらには甘酒横丁の通りを散歩。
最終的には日本橋の麒麟像まで約1キロほど散歩した。
キリンの像を見れば見るほど哀れな姿である。
上方には高速道路が走り、
空は高架の隙間からしか見えない。
麒麟の像には翼はついているが、
多分あの隙間を飛ぶことはできないであろう。
なんとも悲しい姿である。
日本橋はすべての道の出発点。
出発の象徴となる橋。
例えばパリでいえば凱旋門。
凱旋門を中心に道路が伸びている。
凱旋門の上方に高速道路を造るなんて
考えないであろう。
ヨーロッパ
ヨーロッパに住んでいた時、
各地を旅した。
歴史的に意義のある場所には
その土地に住んでいる人の敬意が込められている。
精神性のこもった場所に対する配慮が感じられた。
例えばドイツのローテンブルクでは
街の景観を損なわないように、
直接車で街の中に入ることができない。
少し離れた場所に駐車し、
街の中に入る。
街の中心部では車の姿を見かけることはない。
旅行者は歩いて町並みを散策する。
行き交う車に注意をすることもなく、
道のど真ん中を自由に歩いて
のびのび散策することができる。
車による雑音もなく、
静かな町並みに身を置きながら、
街の息遣いを肌で感じることができる。
カフェやレストランで土地の人と会話を交わし、
ゆっくりとした時間の流れを味わう。
精神的意義のあるものに対しては
その土地に暮らす人たちの徹底した配慮を感じる。
京都
歴史のあるまち、京都。
世界No.1の観光地。
大学生時代この京都にお世話になった。
西陣織りで有名な京都の上京区に下宿を構えていた。
話は逸れるが
京都は住所の長さが強烈。
「京都府京都市上京区千本寺之内通り東入る下る姥ヶ寺前町・・・」
これが当時の住所。
覚えるのが大変な上に
免許証に住所が入らない!
青春時代を過ごしたお気に入りの町。
ツーリングによく行った嵐山渡月橋
ベロベロに酔った木屋町
花見の場所取りに命をかけた円山公園
よく待ち合わせをした河原町の喫茶店
彼女に振られた八坂神社。
車が邪魔
そんな思い入れのある京都に
どうしても納得いかないことがある。
それは街中に車が溢れすぎていること。
自家用車が市内に溢れすぎて
そこかしこと渋滞が発生している。
特に公共交通機関であるバスは異常なのろさ。
ある時金閣寺の前から祇園までの
たかだか数キロ行くのに
1時間半かかった。
同じところから出発した友人が
自転車で先に到着していた。
バスより自転車が速い町なのである。
さらに、歴史的な街並みが残っている町屋の細い通りにも
車が侵入してくる。
おちおち散歩をすることもできない。
注意を怠るとあっという間にひかれてしまう。
さらにさらに、京都は盆地であるがゆえに夏は暑い。
ただでさえ暑いのに
渋滞で止まっている車の発する熱気と相まって
夏は蒸し風呂状態。
クーラーなしでは過ごすことができない。
自動車を完全にこの街から
追い出すことができないのかと
当時よく思った。
せっかくこの素晴らしい景観を誇るなら
徹底的にやるべきではないか。
しかし経済的な側面が全面に押し出されている
日本ではどうも難しい。
現在では観光バスが容赦なく市中に入ってきて
さらに渋滞が加速していると言う。
本音
経済、お金、マネーと本当にうるさい国である。
お金が大切なことぐらいは誰でもわかっている。
でもヨーロッパでは経済を立てながらも
精神的な産物に対する思いやりが感じられる。
麒麟の像への思いやりのなさ。
精神性の貧しさが滲み出ている。