墓場行きのバス、本音
建前と本音という言葉があります。日本社会で本音を話せば、しばしば墓穴を掘ることになります。嘘偽りのない感情や価値観を表現すると大いに人に嫌われる。相手との関係を良好に保つためには本音を封印することが求められます。
相手との関係が希薄な場合、どうしても建前での話になります。社会が表向きに期待している内容を語り、場の雰囲気を壊さないように努める。空気を読みながら相手の気持ちを汲んでいくことが非常に重要視されます。例えば何かを断る時、日本では「できません」と言わずに「考えておきます」「検討します」という表現になる。相手の気分を害さないように配慮し、関係をこじらせないようにするのです。
不合格行きの列車、建前
塾における面談でも建前で話すことになります。当たり障りのない言葉を並べて気分良く保護者に帰って頂く。「よく頑張っています」「しっかり取り組んでいます」といった何を褒めているのかよく分からない言葉を連発して、実のない時間を過ごす。顔色を伺いながら通わせて良かったと思ってもらえるように気を使いながら話を進めます。
本当は合格をさせるためには本音を言いたい。耳の痛い話を聞いてくれさえすれば、合格出来ていた受験生がたくさんいます。能力の限界があることを分かってもらい、その上で効率的な合格へのルートを示すことができれば、不幸な子供を減らせます。
算数信者、いらっしゃい!
算数の難問に膨大な時間を費やして克服させようとする親が多い。家でやらせていて、子供に質問をされても親が解けない。仕方がないので塾で質問をしてきなさいということになる。受付に算数のテキストを持って子供が現れます。どんな質問か見てみると、偏差値70クラスの問題。テキストの都合上、最難関校を受験する生徒のために別枠で掲載されている問題です。偏差値50前後の子供では歯が立たないのは当然です。
取り組む必要がないことを伝えると大体クレームになります。クレームを回避するために、仕方なく教えるのですがどんな解説をしてもちんぷんかんぷん。時間の制約もあるので、解説を書いた紙を持って帰らせます。すると今度は親からの質問の電話。これがまた大変で、親を理解させるのが一苦労。この算数地獄に親子で足を踏み入れてしまうと第一志望校合格は夢のまた夢。
さあ、この事実認められますか?
算数は数的センスがものをいうことを認めなければなりません。数的センスがない子供が難問を克服出来たケースをほとんど見たことがありません。低学年の頃から塾に通っていても、6年生になって入塾してきた生徒にあっという間に抜かれることなどよく目にする光景です。数的センスは先天的なものであることをまざまざと見せつけられます。
脳科学の世界でも数的センスは先天的なものだと証明されるようになりました。新刊本ではよく目にする内容です。脳科学者が運動能力と同様に数的能力についても努力して身につくものではないことを述べています。運動に関してはすぐに諦めてもらえるのに何故か算数は諦めてもらえない。努力をすれば必ず克服出来ると信仰に近い考えを持っている人が多いのは残念です。
もう、反対のエスカレーターに乗るの、やめよ!
数的センスがなくても、他に必ず得意な分野があるはずなのです。その良いところを見つけるのが親の役割です。出来ないことにこだわるのは無駄です。算数にこだわる生徒に限って、他の教科の基本事項がいい加減になっている。そこを克服する方が遥かに効率が良いのにです。
入試の合格点は6割〜7割で推移するものです。難問を捨てても、他の教科の基礎点をしっかり取りさえすれば合格点に達します。こういう単純なことに気付かずに無駄な努力を続けるのは愚かなことなのです。
といった本音を面談で語ってみたいものです。理解が得られない時の保護者の顔をみるのは怖いですが。