結婚生活
もう生まれてかなりの時間が経とうとしているのに、
独り身。
離婚を経験者。
家庭を持ったのは3年ぐらい。
結婚をして一年半が過ぎる頃までは仲良く、
楽しく暮らしていた。
思わぬことで転落していくことに。
ある時、二人の間でかねてから話題にしていた遊戯施設に行くこと。
近所にあって、一度も利用したことがなかった。
どんなところか体験してみようということで出かけることに。
夏の盛りで猛暑。
夜に訪れたことが幸いして、人手は少なく色々なアトラクションを体験できた。
屋上に出てみると本格的なテニスコートがあった。
最近、お互い運動不足だったので体を動かそうということで約一時間程度テニスをすることに。
息が上がるほどの運動ではないが、汗びっしょり。
スポーツをすることを想定していなかったので普段着でタオルなし。
テニスを終えて室内に戻り休憩をしていると、
服は冷たいおしぼりのように。
離婚の足音
翌日、早朝に妻に呼ばれて起きてみると彼女は高熱でうなされていた。
昨日のテニスの影響。
かなり苦しそうで起き上がれる状態ではない。
慌てて救急に連絡をして、
彼女は病院に運ばれた。
診察の結果、急性腎不全に陥っているとのこと。
ICUでの緊急処置を受けることに。
肺の3/4に水が溜まりかなり危険な状態。
さらに腎機能が低下しているとのことで、緊急透析も併せて行われた。
緊急処置の甲斐があり、
彼女は無事ICUから出てくることができた。
その後腎臓専門病棟に移り、専門医の元で治療をすることに。
ホッとしていたのも束の間、
担当医から話があると言われ部屋に通された。
「病状は安定したものの、慢性腎不全になる一歩手前まで来ている」
「これからは厳しい食事制限が必要だ」ということ。
そして、
「腎臓の負担を考えると子供は諦めてもらわない」
と告げられた。
他人の子供を何人も世話をして、
肝心な自分の子供の顔も見ることができないと知った時は愕然。
気分が悪くなりトイレに駆け込んだ。
病院の帰りの車の中で孫を楽しみにしていた母の顔が浮かび涙が止まらず。
でも本当に苦しかったのは妻かもしれません。
彼女も私と同じ塾の講師。
よく仕事後には受け持つ子供の話を楽しそうにしていた。
子供が好きでした。
新鮮な日常
しばらくして退院が決まり彼女は家に戻ってきた。
本当に大変だったのはここから。
慢性腎不全への進行を防ぐには厳しい食事制限が不可欠。
食べるのが好きだった人間には大きなストレスに。
さらに、タンパク質と塩分を控えた食事を作ることなど家事が得意でなかった彼女には大きな負担。
当然、私と自分の食べる分の二食を用意するのは無理だった。
当初は頑張って用意をしてくれていたが途中で挫折。
腎臓病患者用の弁当を宅配してくれる業者を見つけて、昼も夜も弁当に。
歪みは色々なところに飛び火。
その弁当が高額だったため、
食費はあっという間に膨れ上がり、
通院代と重なり家計を圧迫。
さらに、ストレスを抱えた私はパチンコに。
さらにさらに、当時非常勤で勤めていた塾の社員と揉めて退職。
今考えると愚行の極み。
家計はあっという間に火の車。
その後はゴルフ場で早朝からキャディーをし、
体を酷使しながら折れそうな生計をぎりぎり支えることに。
お金だけでなく、妻の行動に対してもストレスを。
精神的に追い込まれていくことに。
彼女は二日に一回は寝込むようになり、
以前の元気と明るさは見る影もない。
仕事が上手くいかない私はかなり愚痴っぽくなり、
彼女は私から遠ざかるようになった。
彼女が唯一心の拠り所としたのはブログでした。
新たな出発
彼女はパソコンを備え付けた部屋に籠城。
私が少しでも愚痴っぽくなるとパソコン部屋に逃げ込む毎日。
まともな会話のない日常が当たり前に。
私は一人でテレビを見、
彼女はシェルターに篭るか寝室で倒れている、
といった生活が何ヶ月か続いた。
空気に耐えきれなくなった私が離婚を切り出すと、
二つ返事で承諾。
離婚後、彼女のブログを覗く機会があり、
レトリックの利いた一文が目に。
「旦那は冷蔵庫に取り残された瓶の蓋を開けるだけの存在」
だと。
その記事に対してたくさんの理解のコメントが。
今思えば、この記事を書きながら彼女は本当に解放されたのかも。
自分が彼女の足枷に。
離婚後、彼女は立派に歯科大学に入学し、
その後のことは知らないが今頃は歯科医として活躍していることだと思う。
今、ガラス窓に孤独にブログに向かっている自分が映っている。
遠くに霞むスカイツリーを眺めながらふと過去が蘇る。