魔法のインプロ
最近、自分の意見を持てない子供たちに対して
危機感を募らせている人々がさまざまな提言をしているのをよく耳にする。
その中には斬新な提言でいいなぁと思うものがある。
ある提言に興味があって小学校で
行われていた演劇の手法を取り入れた授業に
インストラクターとして参加したことがある。
「インプロ」
と呼ばれる演劇の訓練用のメソッドを
学校の授業に応用したプログラム。
印象的だったのが授業の初めに
指導者が強く
「怖がらずにどんどん間違っていい」
「やりたくなければやらなくてもいい」
とメッセージを送っていたこと。
このメッセージを聞いた子供たちも
そうですが私もびっくり。
学校でこんなことを聞いたのは初めてだったから。
子供の笑顔
授業が始まり指導者から
意味の分からないミニゲームをやるように指示され、
即興でこなしていく。
授業の前半は多くの子供が周囲を見渡して躊躇。
ところが個性的な子供が破天荒な行動を取っているのを
指導者が褒めているのを見るや、
恐れずに好きな動きをするようになった。
後半では無秩序な空間でありながら
夢中で楽しんでいる子供たちの笑顔で溢れる教室に。
楽しいひと時だった。
授業の最後に全員が輪になって感想を述べる時間が設けられていて、
それぞれ好きな感想を述べる。
大抵こういう場合
「楽しかった」「よかった」
などの無難な感想を述べる子供が多い。
間違っていいことの気持ちよさを覚えた子供たちは
自由に意見を言うようになっていた。
笑顔で
「正直、楽しくなかった」
や困った顔で
「何をやっていたのか訳が分からなかった」
という屈託ない意見が飛び出していた。
そんな中でも感心したのが
「ここの部分は面白かったけど、こうすればもっと面白くなるのでは」
と建設的な意見を言っている子供が多かったこと。
大人の発想より面白い。
いかに子供は普段多くの鎖に繋がれて
がんじからめになっているのかを目の当たりにした。
私立中学のメッセージ
昨日、授業でのメインテーマが意見文を書かせることだった。
最近の入学試験の傾向として客観的に文章を読み取る問題だけでなく
主観的な意見を論理的に説明させる問題が出題されるようになってきている。
国際的に通用する人材を育てたいという
私立の学校のメッセージがこもった入試問題だ。
採用される傾向が強くなってきたこの手の問題に
多くの子供が苦しんでいる。
そもそも日本の学校は協調性を重んじ、
先生の命令に従ってみんなと仲良く学んでいくことを
子供たちに叩き込む。
集団行動に向いている性質の子供が必然的に多くなる。
大学を卒業してサラリーマンとして
立派に勤め上げることを想定しての教育だろう。
そのため、企業に入ってからの日本人の活躍は目覚ましい。
同僚と足並みを揃えて、
上司の命令に従い
素晴らし業績を上げてきた。
30年前は世界のトップ企業50社に
日本の企業が35社も入っていたのだから。
このことからも学校教育があながち間違っていたとは言いにくい。
ところが、IT化の波が世界各地に押し寄せてくると
その対応に遅れた国は競争力を失っていく。
日本式の教育はIT化には向いていなかった。
そのために世界1位の競争力誇っていた日本は
今では韓国やタイにも及ばない。
競争力は低下の一途を辿っている。
現在では日本の企業は世界のトップ企業50に
たったの1社しか入っていない。
トヨタ自動車だけ。
そのトヨタも現在は35位と落ち込み、
今後、電気自動車の開発に遅れをとり
順位をさらに落とすのではないかとの予想もされている。
憂うべきこの現状にになんとかしなければならないと
動き出したのが私立の学校。
私立学校の教育プログラムを見ていると
世界の潮流を意識したものが多い。
一昔前なら大学受験に合格するのに特化したプログラムが
目立っていたのだが、
かなり様変わりしている。
AIを導入して、
英語コミュニケーション能力に特化した
プログラムを創り出したり、
プログラマーを育てることを前提にした
プログラミング教育を積極的に導入したり
未来志向の子供たちに対応できるように準備されている。
公立小学校の実情
一方で公立の学校はいまだに現場を知らない
天下りのお偉いさんが仕切っている教育委員会が
牛耳っている古い体質のため改革が進まないのが実情。
旧態依然とした教育体制に加えて、
教室に何人も子供を詰め込んでの集団教育に余念がない。
先生といえば報告書に追われて現場に細やかに目がいかない。
何か現場に違和感を持っていても改善を試みる余裕がない。
熱い思いで教育に携わる先生は少数になり、
生活と人生の安定のために現場にしがみついている
冷めた先生が多いような気がする。
ある6年生の女の子が学校の先生はアホだと訴えてきた。
「先生はおっぱいの大きい女性が好きだ」
と堂々と授業中に語っていたという。
先生の様子を見ていると生徒の中に発育が良い女の子がいて
その子ばかり贔屓しているという内容。
呆れて何も言えない。
それが6年生の担任だというのだから。
このように私立と公立では教育のベクトルが大きく違っている。
この二つのベクトルの狭間で苦しめらているのが今の受験生。
公立の学校で集団に適正化するように教育を受けてきた子供たちが
入学試験だけ新しいベクトルに対応した問題を考えなければならない。
公立の小学校に通っている受験生はかなりの苦戦を強いられることに。
ユニークな国語の問題
以前三田国際学園の入試において国語で
米津玄師の「LEMON」の歌詞が出題されていた。
的確に歌詞の内容を把握しながらも
自分の思いを他人に伝えるときの言葉を考えろという。
相手の感性に寄り添って自分の思いを述べなければならない。
こういった問題にはパターン化した思考を下敷きにして
機械的に答えていくという古いテクニックが通用しない。
自分の持っている感性だけが頼りになる。
授業内でこの問題を取り上げてみると
案の定、手が動かない。
ヒントを与えてやっと書きだしても
金太郎飴のように皆が同じことを書き始め、
記述問題用に覚えた型通りの答えを書いて満足している。
クリエイティブな発想を普段から持っていないと
テストの時だけ都合よく働かすことなどできるはずもない。
周囲をキョロキョロ見て行動を起こすのとは違い、
自分独自の視点と意見を持っていなければいけない。
この手の課題になると得点を取るのが優秀な生徒でも手が止まり、
ヒントをもらえないと書き出しさえ手をつけることが出来なくなる。
子供の笑顔を取り戻せ
古い学校教育が染み付いている彼らが、
親の言う通りに動いて褒めらている環境下で
独自の意見を発想できないのは当たり前。
意見を述べられない子供を嘆く大人がいるが
責任は彼らにあるのではない。
嘆いている当の大人が原因。
自分の言うことを聞かせようと
腐心してきた大人の責任。
子供は本来、発想の豊かな存在。
それを温室に入れて
クリエイティブな能力を忘れさせてしまった。
反省すべきは大人だろう。
新しい世界の潮流に身を委ねる時代になって、
子供が気持ちよく泳いでいくには
流れに適応している家庭と学校の空気が必要。
こんなことに気付いていない
無意味に大学の進学率を追い続けている
偏差値の高い学校が時代に取り残される時代が
もう目の前まできているのをひしひしと感じてしまう。