受験票
資格試験の申し込みが無事に終わり受験票を机の上に置いています。そうすればやる気が出るかなと思っていましたが、逆にやる気が失せてくるのが不思議です。もう時間がないのだからエンジン全開で猛勉強をすると思いきや、アイドリング状態に入って集中力が維持できません。
実力が足りないながらもなんとか合格レベルの人達と闘えるレベルまであがきたいところです。まだ、1ヶ月以上の時間があるのですから。
今年の試験を諦めた時にはコツコツと少ない時間ながらも勉強に取り組んでいました。資格試験勉強が日常生活の一部でした。食事をしたり掃除をしたりするのと同じ感覚です。無理して勉強を頑張るという感覚がなく、努力できてる充実感を感じていました。
ところが、今年の受験を決めた瞬間、何かが頭の中で切り変わってしまいました。いつもと同じように机に座っても進捗が悪いことのダメ出しが頭の中で繰り返される。今年の試験は合格出来ないと分かっていても、無意識に合格からの逆算をして足りない分量を計算してしまいます。
脳内での変化
脳における知能バランスが崩れている状態です。知能には大きく分けて二種類の知能があります。一つ目が言語性知能です。これは計算や記憶、物事を理解する能力に関わる知能です。もう一つが動作性知能と呼ばれ、大きな視野から仕事の優先順位をつける時に使う知能です。
この二つの知能のバランスが崩れると整理整頓が出来なくなると言われています。部屋の掃除が出来ない人の特徴です。部屋が散らかるだけならいいのですが、頭の中の思考も散らかってきます。さまざまな思考が浮かんでは消えてを繰り返してスッキリしません。
言語性知能が過度に働くに伴い、動作性知能の働きが鈍くなってきます。思考の優先順位をつけられなくなり、無駄な考えが頭のゴミとして蓄積していきます。
ねばならないの弊害
受験票が目に入るようになってから、勉強をしなければならないという無駄な思考を芽生えさせてしまったようです。勉強はやりたいからやっていたはずです。資格試験の勉強なんて誰からも強制されたものではなく、自発的な取り組みであったはずです。このように言語性知能が活発になると、義務感を発生させてしまう。義務感が強くなればなる程、逆に勉強から遠ざかろうとする。心理学の中では逆説と呼ばれる現象です。
大きな牛をトラックに乗せようと何人もの大人が力任せに押しています。ところが牛は一歩たりとも前進しようとしません。それどころかトラックとは逆の方向に動こうとする。一旦諦めてトラックとは逆の牛舎の方に強く尻尾を引っ張った途端、トラックの方に歩み始めて乗ってくれる。このようなエピソードが逆説です。
机の前の受験票がスイッチになって、勉強が強制に一変。一気に勉強とは逆の方向に心が動き始めました。どんなに自分を叱りつけても勉強が進みません。時間も差し迫る中、かなりのストレスです。意志力でなんとかなるものではありません。
さあ、あきらめよう
ここは一旦、自分に言い聞かせなければなりません。「無理して勉強はするな。無理をする必要はないのだ」と牛を逆の方向へ引っ張らなくてはいけません。そして受験票を見ないように机の中にさっさとしまいこみました。本当に心は厄介な存在です。
義務感がやる気を無くす最大の原因になることを実感しました。「勉強をしなさい」と言い続けているうちに動作性知能が衰えて、進んで勉強をする子供ではなくなっていきます。それだけでとどまるのなら良いのですが、人生を自分でポジティブにデザインする能力も欠如することになります。
たかが試験の合格のために、知能のバランスを崩して常態化させてしまうのは怖いことです。人生の整理整頓ができないのは将来への危険なシグナルかもしれません。