賑やかなスケジュール
関西にいた時には人が周りにたくさんいて賑やかだった。
家族がいて、友達がいて、趣味の仲間がいる。
当時はお芝居に歌、芸能人まがいなことをやったり、
英語クラブに参加して英語音痴たちとつまらない人生談義に花を咲かせたりと
仕事以外のイベントがスケジュール帳に踊っていた。
スケジュール管理アプリの通知が毎日、
ピコン、ピコンと鳴っていたのが懐かしい。
所属していた劇団は2か月に一回程度公演があり、
準備に稽古に忙しい。
突然、台本を渡されて
「三日後の稽古までに覚えるように」
なんて言われて度々追い込まれる。
追い込まれれることが日常になってくると
感覚が麻痺して快感になっていた。
変態である。
ある時は一人でステージを独占し、
スポットライトを浴びて観客に向かって熱唱する。
ある時は主役に抜擢されて
台詞をステージで絶叫して最後のシーンを飾る。
充実した時を過ごしていた。
孤独の足音
当時、塾の経営者に嫌気が差して、
ゴルフのインストラクターをやっていた。
そのゴルフスクールはかなり高額な料金を取るスクールで、
たったの二、三か月で50万円近くの費用がかかる。
一般の人が習いに来るには敷居の高いスクール。
そう、ゲストの大半が富裕層。
「ちょっと悪いけど車までゴルフバッグ持ってきてー」
と言われて外に出てみると新車のポルシェが店舗の前に横づけされている。
「旦那さんの車ですか」
「違うで、うちのや。旦那はベンツが好きやからな」
また別のゲストは
「先生、家のガレージ潰してゴルフシュミレーターを置くねんけど、教えにきてや」
「え、シュミレーターを買ったんですか」
「そや工事費入れて600万円やった。安い買いもんや。現金で払ったがな」
なんて会話が日常茶飯事。
しかし、景気の良かった店舗も半年もすると一気に厳しい状態に。
幹部社員が立てた経営方針が関西でうまくい機能せず、
大幅な赤字に落ち込む事態に。
それに伴い勤めていた店舗のゲスト数が激減し、
歩合制で働いていた社員の給与は減少の一途をたどることに。
私自身、過去に起業して失敗をしたツケを背負っていたため
毎月の家計が赤字に。
借金は人生の支柱を簡単にへし折ってしまう。
乾いた土地、東京
関西の店舗を尻目に、
東京の店舗はゲスト数を大幅に増やして
好調を維持していた。
入会希望で何人ものキャンセル待ちが出る程の盛況ぶり。
暇になった関西の店舗からヘルプで
東京に行くけるインストラクターを会社が探していた。
かねてから東京に憧れを持っていた私は入社当時、
関東に勤務希望を出していた。
その記録を見た幹部から誘いがあり、
家計の赤字をなんとかするため
話に乗ることに。
これが孤独の出発点になるとは。
慣れ親しんだ店舗の仲間と別れ
さらに愛着のあった劇団を退団しての上京。
当然東京に知り合いなどいるはずもなく
職場の仲間だけが唯一のコミニケーションの相手。
東京生活でも良き仲間と出会うために、
演劇のワークショップに通ったり
イベントに参加したりとがんばってみるも、
気質の違いか、
気の合う仲間を作るのことができず、
不思議と孤立。
さらに追い討ちをかけたのが会社事情。
東京へ来て半年が過ぎるころ、
ゴルフスクールの親会社が大幅な赤字を出してコミットできず。
派手にニュースのネタに。
派手な広告と派手なニュースの影響で
スクールも一気に景気が悪化。
私のお財布も悪化の一途。
これ以上会社に振り回されるのは懲り懲り。
退社を決意。
関西に帰ることも一瞬頭をよぎるも、
そのまま東京に残ることを決意。
何も得るものも無い撤退は受け入れ難く、
東京で塾の先生に復帰すべく、
現在の職場に転がりこんだ。
借金の亡霊
今勤めている塾は、
曜日によって受け持つクラスが違っていて
毎日違う校舎へ出向する。
そのため1週間に1度しか合わないような人たちが増え、
知り合いになった先生と生徒の数は膨れ上がる一方。
ところが肝心の気の合う仲間には恵まれず。
仲間と呼べるような人を作るのが不可能な状態に。
塾に舞い戻ってきてからは借金の返済のために言われるがまま、
休みなしで嫌な業務をたくさんこなした。
訳のわからない生徒の解答の添削とコメント書き、
早朝から夜までの日曜特訓。
はたまた、週6日、朝の8時から夜の9時近くまでの休憩の殆どない講習授業。
激務のため大切な喉を完全に壊した。
こうして借金返済に苦慮して、
駆けずり回っている間に私の周りから人が消えていった。
事業の失敗で抱えた借金は私を不毛の地に連行するだけでなく、
精神的孤独という名の底無し沼に突き落とすことに。
前向きな孤独
精神的孤独を知るまでは、
ポツンと一人で暮らす人を孤独だと思っていた。
私には深い山の中で一人で暮らす祖父がいた。
子供の頃、年に2回祖父の家に行ったが、
帰る時が辛い。
祖父が笑顔で私たち家族を見送ってくれる姿を見るのが辛い。
学生になるとクラブ活動を言い訳に
祖父の家から足が遠のくようになった。
見送る祖父の姿を見るのがとにかく嫌だった。
祖父が亡くなってから母から本当のことを聞く機会があった。
母はよく一緒に住もうと誘ったそうだ。
でも自然が好きな祖父は断り続けた。
一人で寂しいのではという問いかけに、
そんなことを考えたことがないという。
祖父は祖父なりに楽しく幸せだったことに気づかされた。
関西にいた時の仲間に囲まれてワイワイやっていた感覚が残っていた東京生活の一年目は、
人が周りにたくさんいるのに気の合う仲間がいない状態に苦しんだ。
東京の人の多さに孤独感をかきたてられた。
山深いところに住んでいた祖父と比べるまでもなく不幸な孤独。
昔、本のタイトルは思い出せないが、
著者が自然の中で一人で暮らすよりも
逆に人が溢れる都会で人との繋がりがなく生きている方が不幸だと
語っていたのを思い出す。
読んでいた時はそんなものなのかなと気にも止めなかったが、
今、池袋のど真ん中に、一人でポツンと立っていると
「なるほど、これか」
と実感する。
東京暮らしも来月で四年目を迎えることに。
下を向いて歩いているうちに、
今は孤独の中に小さな幸せを見つけられる。
劇場的な幸せもいいが、
野に咲く小さな花に心を寄せる、
祖父の持っていた穏やかな幸せを育めるようになってきた。